◆1953年、交通事故で85歳で亡くなる 民族超え、人間としての価値観示す◆
若松兎三郎の経歴書『自己を語る』を編集した六女高子の夫・糸屋寿雄は、「あとがき」で次のように書いた。
「京都銀閣寺において自動車事故のため不慮の死をとげるまで老人は実に頭脳明晰で、記憶の確かな人であった。父母兄弟などの生没の年月日とか、知人の経歴とか、外務省時代の赴任地の地名や些細な事件の記憶など何らのメモも書き残していないにも拘らず一々まことに正確で、その物覚えの良さは驚くばかりである」
つづきは本紙へ
2017/04/21
◆1953年、交通事故で85歳で亡くなる 民族超え、人間としての価値観示す◆
若松兎三郎の経歴書『自己を語る』を編集した六女高子の夫・糸屋寿雄は、「あとがき」で次のように書いた。
「京都銀閣寺において自動車事故のため不慮の死をとげるまで老人は実に頭脳明晰で、記憶の確かな人であった。父母兄弟などの生没の年月日とか、知人の経歴とか、外務省時代の赴任地の地名や些細な事件の記憶など何らのメモも書き残していないにも拘らず一々まことに正確で、その物覚えの良さは驚くばかりである」
つづきは本紙へ