◆2度の落選を経て招致に成功◆
現在開催中の平昌五輪もいよいよ残りわずかとなった。平昌への冬季五輪招致は、2010年冬季五輪の開催地選考に立候補したのが最初である。この時は、2003年7月2日、プラハで開催された第115次IOC総会において、第1回投票で平昌は51票を獲得して1位になったものの、2回目の投票では、バンクーバーが56票を獲得して53票の平昌を下し、2010年冬季五輪の開催地に選ばれた。
そこで、平昌は冬季五輪の招致活動を継続。2014年冬季五輪の開催地として本命視されていたが、2007年7月4日にグアテマラの首都グアテマラシティで開かれた第119次IOC総会では、第1回投票で36票を獲得して第1位となったものの、第2回投票では、51票を獲得したソチが2014年大会の開催地となり、47票の平昌はまたしても逆転負け。
このため、3度目の挑戦となった2018年大会に関しては、李明博政権は、バンクーバー五輪のフィギュアスケートで金メダルを獲得した金妍児を招致の顔としただけでなく、汚職などで服役中だった元IOC委員の李健熙を特赦で釈放してIOC委員に復帰させ、さらに、2011年7月6日のダーバンでの第123次IOC総会の直前には大統領自らアフリカ各国を歴訪して支持を取り付けるなどして、開催地として選ばれた。
これを受けて、約1カ月後の8月3日、〝第23回平昌冬季オリンピック誘致〟の記念切手(図1)が発行された。これが、平昌五輪に関して韓国が発行した最初の切手である。この時の切手には、ジャンプ競技が行われたアルペンシアスキージャンプセンターを背景に、スキーで滑走する選手が描かれている。
切手に描かれたジャンプ台は、2009年にオープンした韓国唯一のスキージャンプ台で、スタート位置は標高800㍍超の位置にあり、むき出しの岩肌にラージヒル(125㍍)とノーマルヒル(98㍍)が並ぶ景観が特徴。飛び出し部分の斜度は11度(長野五輪で使用された白馬のジャンプ台は10度台)で距離を伸ばしにくい設定となっているほか、一帯は風が強い日も多く(周辺には風力発電の施設もある)、条件の差が大きいことでも知られている。
1988年のソウル五輪の際には、1985年以降、大会費用を調達するための一手段として寄附金つき切手が多数発行されたが、今回の平昌五輪に関しては寄附金つきの切手は発行されず、
つづきは本紙へ