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2018/11/16

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第94回 済州島のミカン                                                         郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第94回 済州島のミカン

    1973年に発行された済州島の柑橘畑の切手

◆高麗王朝時代に西帰浦一帯で栽培始まる◆

 今年9月の第3回南北首脳会談の際、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が韓国の文在寅大統領にマツタケ2㌧を贈ったことに対するお礼として、今月11、12日の両日、済州島のミカン200㌧(時価4~6000万円相当)が計4回に分けて、韓国軍の輸送機によって平壌に空輸された。

 現在、北朝鮮に対しては国際社会による経済制裁で貿易等が厳しく規制されているが、今回のミカンについては、①マツタケの返礼であること、②生鮮食品で備蓄ができないため、軍などによる横流しも困難との理由から、米国も北朝鮮への輸送を認めたと報じられている。

 ちなみに、北朝鮮の気候・土壌ではミカンはほとんど栽培できないため、〝南方果物〟と呼ばれる貴重品として、指導者が正月などの記念日に、平壌市民に配っていたことがある。また、ミカンの皮を乾燥させた陳皮は、胃腸の調子を整え、咳・痰を鎮める効果があるとして漢方の材料としても使われてきたため、慢性的な薬品不足で悩む北朝鮮では、食べ終わった後のミカンの皮も捨てずに利用する人も多いという。

 朝鮮半島では、済州島の一部で古くから柑橘類が自生していたが、人為的なミカン栽培の記録としては、高麗王朝時代、海に面した西帰浦市安徳面柑山里の一帯で始められたのが最初とされている。

 現在でも、韓国産ミカンのほとんどは済州島で生産されており、なかでも、西帰浦周辺がミカンの名産地となっている。生産されているミカンの種類は細かく分類すると500種類にも及ぶが、最も一般的なミカンは、収穫時期によって、極早生(10月)、早生(11月中旬~12月)、中晩生(12月)と呼び分けられている。このうち、中心になるのは早生で、毎年11月になると、ミカン狩りを楽しむために多くの観光客が西帰浦のミカン農園を訪れる。

 朝鮮王朝時代、済州島は流刑地だったこともあり、韓国社会では、ながらく、済州出身者に対する差別や偏見が根強く、島内のインフラ整備も本土に比べて大きく遅れていた。1948年にいわゆる済州4・3暴動も、左派の騒乱というだけでなく、長年にわたる島民の不満が爆発したという面があった。

 このため、1961年に発足した朴正熙政権は、国内の宥和と経済開発を兼ねて、済州の観光振興に力を入れた。その一環として、夏が終わり、ビーチ・リゾート客の足が遠のく秋冬の済州の観光の目玉として、1973年に発行された観光宣伝の切手では、たわわに実った済州島の〝柑橘畑〟が取り上げられ、西帰浦でのミカン狩りがアピールされている。

 切手に描かれているミカンは、おそらく、早生であろうが、近年、済州を代表するミカンといえば、


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