ここから本文です

2019/02/15

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第97回 女性独立運動家・柳寛順                                                          郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第97回 女性独立運動家・柳寛順

            1982年に発行された柳寛順の記念切手

◆3・1独立運動の象徴、実像の正確な研究を◆

 ことしは、1919年の3・1独立運動から100周年ということで、2月9日の「2・8独立宣言100周年記念国際シンポジウム」を皮切りに、4月11日の「大韓民国臨時政府樹立100周年記念式典」まで、さまざまなイベントが計画されているが、そうした中で、3・1運動の象徴的人物である柳寛順を題材にした映画『抗拒:ユ・グァンスン物語』が27日に公開される。そこで、今回は、あらためて柳寛順とその生涯について取り上げてみたい。

 柳は、1902年、忠清南道天安郡(現・天安市)龍頭里で生まれたといわれている。ただし、女子の戸籍制度が未整備な大韓帝国末期のことゆえ、生年月日については異説もあり、正確なところはわからない。父の重権は開明的な人物ではあったものの、私塾「興湖」の経営に失敗して多額の借金を抱え、生活は貧しかった。

 1916年頃、米国の女性宣教師、アリス・シャープの援助によって京城の梨花学堂(現・梨花女子大学校)に給費生として入学する。ちなみに、梨花学堂は韓国では〝監理教会〟とよばれるメソジスト派(プロテスタントの1宗派)が女子教育のために設立した学校で、シャープもメソジスト派である。

 1919年に3・1運動が起こり、梨花学堂が休校になると、柳は故郷の天安に帰ってデモに参加し、逮捕された。逮捕後の彼女はソウルの西大門刑務所に移送され、1919年6月30日、懲役2年6カ月の判決を受けた。なお、現在の韓国の歴史教科書では、彼女は天安でのデモの先導者であり、並川市場では日本憲兵隊の集会中止命令を無視して群集に独立運動の演説を行ったということになっているが、判決文にはそうした記述はない。

 ただし、京城で3・1運動のきっかけを作った宗教指導者らに下された判決は、天道教の教主、孫秉熙ら8名が懲役3年、崔南善ら6名が懲役2年6カ月だから、量刑のバランスからして、柳は天安でのデモの中心人物の1人と認定されていたことは間違いない。

 また、韓国の教科書によると、柳は控訴審裁判で裁判長と言い争いになり、裁判所の椅子を裁判長に投げつけ、法廷冒涜罪が追加され、懲役7年の刑になったことになっているが、記録によれば、そもそも彼女は控訴せずに西大門刑務所に服役しているから、この〝武勇伝〟は明らかに事実とは異なる。

 1982年の切手の肖像は、


つづきは本紙へ