今月1日、カトリック全州教区長の金仙泰主教は、韓国カトリック初の殉教者であるパオロ尹持忠(1759~91)とヤコブ権尚然(1751~91)と、尹持忠の弟で1801年の辛酉迫害で殉教したフランシスコ尹持憲(1764~1801)の遺骨が全羅北道完州郡の〝草南イ聖趾〟で発見されたことを明らかにした。
朝鮮にキリスト教が伝来したのは、1593年の文禄・慶長の役に際して、日本のキリシタン大名、小西行長の求めに応じてイエズス会司祭のグレゴリオ・デ・セスペデスが朝鮮に渡ったのが最初とされている。
デ・セスペデスは日本の従軍司祭として活動したのであって、朝鮮人に布教をしたわけではなかったが、戦役を通じて、小西はある朝鮮人少女を養女にしており、彼女が後に受洗して〝ジュリアスおたあ〟と名乗るようになったことから、彼女は史上初の朝鮮人キリスト教徒(受洗者)と考えられている。
1631年には中国経由でキリスト教に関する書籍(『天主実義』など)が輸入され、18世紀後半には〝西学〟としてそれらを学ぶ者が現れる。また、1784年には外交使節の一員として北京に派遣された李承薫が、かの地で教理を学び、洗礼を受けて帰国して、漢城(ソウル)ではなく、平壌に礼拝所を建設した。これが、一般に朝鮮における〝天主教(=カトリック)〟信仰の起源とされており、ここから起算して200周年になる1984年には記念切手も発行された。
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