ことしは、1932年4月29日に尹奉吉(ユンボンギル)が、上海の日本人街の虹口公園で行われた天長節(天皇誕生日)の祝賀式典会場で要人席に向かって手榴弾を投げ、多数を死傷させた〝上海天長節爆弾事件〟から90周年にあたっている。
尹奉吉は、大韓帝国末期の1908年6月21日、朝鮮半島中西部よりやや南の忠清南道禮山郡徳山面で生まれた。
尹は12歳の時に起きた3.1独立運動に刺激されて徳山公立普通学校を退学。近在の儒者の門下生となって漢学を学び、漢詩の才能に優れたいたため、若き漢詩作家として将来を嘱望されるようになった。1928年、19歳になった尹は、地元の一青年が墓域で親の墓を探すのに手当たり次第に他人の墓標を抜き取ったものの、無学の彼は元の位置に墓標を戻すことができなかったという事件を目撃。これをきっかけに、祖国滅亡は民衆の無知によるものと考えた彼は、義憤に駆られて自室を開放して私塾を開設し、農民の意識改革と啓蒙に乗り出した。
つづきは本紙へ