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2024/09/20

<トピックス>切手に見るソウルと韓国 第165回 朝鮮王朝の切手  郵便学者 内藤 陽介 氏

  • 切手に見るソウルと韓国 第165回 朝鮮王朝の切手  郵便学者 内藤 陽介 氏

    ないとう・ようすけ 1967年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。日本文芸家協会会員、フジインターナショナルミント株式会社・顧問。切手等の郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を研究。

  • 切手に見るソウルと韓国 第165回 朝鮮王朝の切手  郵便学者 内藤 陽介 氏

    1895年に米国で製造された朝鮮王朝の切手

◆デニー太極旗をモチーフに米国で製造◆

 朝鮮王朝と米国の関係は、1882年5月22日、米朝修好通商条約が結ばれたことに始まる。翌1883年、高宗は閔妃一族の閔泳翊を全権大使とする使節団〝朝鮮報聘使〟を米国に派遣し、アーサー大統領に国書を呈上した。また、これと交換に、朝鮮には米国からL・H・フット公使が赴任した。

 1887年6月、高宗は駐箚米国公使として朴定陽を任命した。

 これに対して、当時は朝鮮との宗属関係を維持していた清朝は、朝鮮公使は清国公使の下位にあることを示すため、朴がワシントンに到着後、在米清国公使に面会したうえで米国務省に同行することを要求したが、朴はこれを無視して単独で訪問し、クリーブランド大統領に国書を捧呈。このため、駐箚朝鮮総理交渉通商事宜の袁世凱は朝鮮政府を激しく詰責している。


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